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2、共通。



しかしそれでは、このような感情や心情といったものは、一体どこからやってくるのだろうか。共有される感情や情緒といったものは、いったいどこから、どのようにして、何を通して、私たちの心の中に入ってくるのだろうか。

それが意識もせずに気づかないまま、自覚することもないまま、それが自分の感じ方や感性として、どうやって自分自身の中に入ってきているのだろうか。この場合、こうした感情や感性といったものは、自分と相手との間の区別がなくなっている。そうして、自分と相手との共通の感覚として感じられているのである。

そうした他人の心情といったものが、どうして自分と他人との間で共有されるのだろうか。コトバ? イヤ、これはそれ以前のものだ。思考や意識以前のものだ。感覚自身の直接の感じ方が、それを感じているのである。


戻る。                   続く。


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