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2、内面。


抽象概念とは、主観の一部が捨て去られて、相手や誰に対しても通用する客観となったものである。つまり、主観の一部が一般化され、共通化されて、その加工された部分だけを表明したものである。つまり、主観が客観化するのである。だから、個別・具体的・現実のものは忘れられ捨てられる。

一般化された共通の部分だけが取り上げられる。いわば、「人的抗弁」が切断される。従ってまた、こうしてのみ、主観が客観として一般化され、異なる主観の間での交流が可能になるのである。

そしてまた、客観的にも、第三者に理解され得るものとなるのである。また、そうでないと、客観的だとは言えないのである。またそうやって、集団としての人間社会が成り立つのである。法律がそうであり、神話や物語から発達していった歴史がそうである。

だれが見ても分かる客観的事実として記録されると共に、客観的現実として世界を見ることが出来るようになるのである。しかし、またそれは、自分自身に対してもそうなのである。

だからまた、そうやって自分自身をも知ることになるのであって、自分を省みたり、自分の内面の世界といったものを、形成してゆくことにも、つながって行くのである。


戻る。                    続く。



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