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そしてこれが生きているということなのである。歴史や、そして空間的な現実の中で、自分が様々に「変化している」のである。中身は同じなのに、その表面的な見えるすがたカタチといったものが、まるで別人ように見えてくるということなのである。 それは、ある意味で人間の精神といったものが無限で永遠のものである以上、そのすがたといったものが、様々に変化して見えるということである。そしてこの変化のカタチといったものが、現実の自分の肉体によって制約され、条件づけられるのである。 そしてまたそれは、自分と取り巻く環境によっても、その見え方というのが違ってくるのである。それは自分自身の、あるいは見える現実世界を構成している要素の、組み合わせや、秩序や、順序といったものが変化しているのである。 このような内的世界の要素といったものの変化が、表面的なすがたカタチの変化として現れているのである。あるいはまた、そのように見せているということなのである。 |
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