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そしてこれを民族や国民、あるいはまた、同族や身内などと言っているのである。しかしまた、それら内部においても、たしかに変わった異分子みたいな者がいるが、それ自体がまた、民族や何らかの集団の結束を証明しているのである。排除したり迫害するという意味でそうなのである。 たとえば、他人の情緒や感情、コトバや考え方などが自分にもわかるし、それを知り得るということは、自分の中にもそれと同じシステムを、どこかに持っているということなのである。そうやって相手の気持ちを知ることが出来るし、自分もまた相手に知ってもらえるのである。 もちろん、このような感じ方といったものも、個人によって多少の違いがあるのであるが、それが「個性」なのであって、そしてまた、それが違う個性として感じられるということ自体が、自分も相手も同じ種に属するという、言い換えると、同じシステムを有しているということに他(ほか)ならないのである。 |
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