index< 日誌 < au錯覚 < 22-93「精神のカタチc」p12 |
しかし、この場合に注意すべきは、このような言わば自意識、あるいは自律性、ないし独自性、または個性といったものが、それらすべてが、自分でも意識されることのない無意識の世界で、しかも、より低レベルというか、もっとも原始的な肉体の感覚レベルで作用していて、進行しているということである。 意識も無意識も入る余地がないのである。それは肉体の生理と神経の反射や、その相互作用の世界なのである。現実から分離した観念や意識の世界ではなく、意識を排除した現実そのもの、物理的な生理の世界の出来事なのである。肉体が意識を排除して、感覚が感覚に対して何かを感じているのである。 そうしたことが自分の肉体の中で起こっていて、そしてそれを自分でも感じ取っているのである。意識でも思考でもなくて、直感的で本能的な感覚の世界で、それを感じ取っているのである。感覚が感覚だけで何かを感じている。 |
index< 日誌 < au錯覚 < 22-93「精神のカタチc」p12