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11、錯綜した世界。



したがってまた、それが、いやが上にも自分に迫ってもくるし、自分を支配する絶対的な強制力として自分に作用しているのである。肉体を離れて自分が存在し得るはずもなく、そしてまさにこの自分の肉体が、自分に強制してくるのである。人間の存在自体が、すでにこの肉体のカタチによって拘束されているのである。

それは閉じて自律した生理と神経の独自の作用であり、そのリズムであり、そしてまた、そこにしかない特殊な現実の世界なのである。だからまた、ここでも自己と他者が区別されているのであって、また、この区別があるからこそ、他者のそうした動きといったものが自分のこととして感じられているのである。あるいはまた、感じることが出来るのである。

共感し、それを共有し、響きあい、触れて、混じり、行き交う・・・。そうした錯綜し混乱した世界を作り上げているのである。


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