index< 日誌 < au錯覚 < 22-93「精神のカタチc」p12 |
いやおうなく、それへと導き、いざなってゆくのである。まるで、それしかないように。何かしらの自分の中にある、生理や神経作用の動きとして、それを表現しているのである。もちろん、それがいったい何なのかというのが、自分でもわからないままに。 いたたまれず、どうにもならずに、それへと導かれ、引かれ、共感し、共有されてゆくのである。まるで「やまびこ」の共鳴や、メトロノームの動きのようにである。それは、本人の意志とは関わりなく、そうなるしかないものなのである。 自分でも知らず、知りようのないものを、深刻にかつ過大に感じ取っているのである。ただそれが何かというのが、自分でもわからないのである。知りようもなく、知る方法もなく、理由も分からないままそうしているのである。 |
index< 日誌 < au錯覚 < 22-93「精神のカタチc」p12