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トランペットはどうだろう。これはどう考えても、自分自身の胸の呼吸の音である。いや、考えてはならない。それは私自身の呼吸の音、呼吸の振幅のリズムそのものなのだ。それは音の強弱だけでなく高低があって、またそれがなだらかに続いたり、断続的な強弱になったりもする。 これは自分が何かに心躍らされる、そうした気分や雰囲気の呼吸の動きなのである。私たちは、このような呼吸の動きによって、自分自身の感情や情緒を感じ取っているし、また、そうした自分に納得もしてる。 あるいは、このようなものとしての自分を感じているのである。また、そうした動きでもって、何かを相手に伝えようともしているし、知ってもらおうともしているのである。だから、考えてはならないのである。これは「考える」以前の、自分自身の肉体の営みなのである。 私たちは、そのようなものとして自分を見ているし、また、それを感じてもいる。私たちは、そうやって自分を知り、理解し、また、自分というのを自分でも気づかないまま意識しているのである。 |
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